2020/03/03

3111-THE MAKING (217)ちくわができるまで



---------------------------------

2006年 14分

 シリーズ「ザ・メイキング」。身近な製品がどのような技術を使ってつくられていくのかを、追い、モノの成り立ちと科学技術の関わりを伝えます。今回は、ちくわです。グチ・タラ・トビウオなどの魚の身をすりつぶし、練り上げて、オートメーションで棒に巻きつけていきます。みりんでこげ目をつけて棒を抜き取ります。  
       
受賞作品
暮らし
学習/教育

舞鶴かまぼこ協同組合



2020/03/02

3110-[Japan Train] 新宿~代々木~南新宿 小田急 小田原線 開かずの踏切 / Railroad crossing Odakyu Odawara Line without opening 2


---------------------------------

[Japan Train] 新宿~代々木~南新宿 小田急 小田原線 開かずの踏切 / Railroad crossing Odakyu Odawara Line

Shinjuku 1st railroad crossing

開かずの踏切(あかずのふみきり)は、遮断機が降りた状態が長時間続き通行が困難な踏切の通称。線路が多く運行本数が多い踏切や駅に近い場合に開かずの踏切となりやすい。

新宿は東口から左回りに発展してきた。東口の伊勢丹の交差点周辺は、江戸時代の甲州街道の最初の宿場の内藤新宿があった場所で古くからの繁華街である。次に西武新宿駅周辺の北の歌舞伎町が歓楽街になった。その後、淀橋浄水場の跡地に都庁などの超高層ビル街が建設され、西口も栄えるようになった。
駅の南側はJRと小田急の鉄道用地が多くずっと取り残されてきたが、JR発足後両社が共同で南口の再開発に取り組んだ。
その成果として動画のように、小田急線新宿踏切は世界でも珍しい超高層ビル街の中の踏切になった。

小田急線が新宿駅を出ると、地上~地下ホームの線が合流する。その手前に新宿1号踏切がある。4線あるのでラッシュ時には開かずの踏切となるが、自動車の通行量はそれほど多くないので目だった渋滞にはならない。以前は経堂と並んで踏切警手のいる有人踏切であった。

70000形GSE車、60000形MSE車
1000形、2000形、3000形、4000形

-twitter
https://twitter.com/vkteer



2020/03/01

3109-[japan Sightseeing] Meiji Shrine little known beautiful area (power spot) 明治神宮 宝物殿前広場 北回り一周 パワースポット




---------------------------------

Meiji Shrine (明治神宮, Meiji Jingū), located in Shibuya, Tokyo, is the Shinto shrine that is dedicated to the deified spirits of Emperor Meiji and his wife, Empress Shōken. The shrine does not contain the emperor's grave, which is located at Fushimi-momoyama, south of Kyoto.

After the emperor's death in 1912, the Japanese Diet passed a resolution to commemorate his role in the Meiji Restoration. An iris garden in an area of Tokyo where Emperor Meiji and Empress Shōken had been known to visit was chosen as the building's location.

Construction began in 1915 under Itō Chūta, and the shrine was built in the traditional nagare-zukuri style, using primarily Japanese cypress and copper. The building of the shrine was a national project, mobilizing youth groups and other civic associations from throughout Japan, who contributed labor and funding. It was formally dedicated in 1920, completed in 1921, and its grounds officially finished by 1926. Until 1946, the Meiji Shrine was officially designated one of the Kanpei-taisha (官幣大社), meaning that it stood in the first rank of government supported shrines.

The original building was destroyed during the Tokyo air raids of World War II. The present iteration of the shrine was funded through a public fund raising effort and completed in October 1958.

Meiji Shrine has been visited by numerous foreign politicians, including United States President George W. Bush, United States Secretary of State Hillary Clinton, and German Foreign Minister Guido Westerwelle.

On the eve of new year, Japanese usually visit a Shinto shrine to prepare for the worship - Hatsumōde (初詣) of the new year. Meiji Shrine is the most popular location in Japan for hatsumōde.

明治神宮(めいじじんぐう)は、東京都渋谷区にある神社。第122代天皇の明治天皇と昭憲皇太后を祭神とする。初詣では例年日本一の参拝者数を誇る。正式な表記は「宮」の「呂」の中間の線が入らない「明治神宫」。

明治天皇と昭憲皇太后を御祭神とする。境内はそのほとんどが全国青年団の勤労奉仕により造苑整備されたもので、現在の深い杜の木々は全国からの献木が植樹された。また、本殿を中心に厄除・七五三などの祈願を行う神楽殿、「明治時代の宮廷文化を偲ぶ御祭神ゆかりの御物を陳列する」宝物殿、「御祭神の大御心を通じて健全なる日本精神を育成する」武道場至誠館などがある。新年には毎年のように国内外から観光客が集まり、初詣では例年の参拝者数が1位となっている。

22万坪(約73ヘクタール)に及ぶ広大な神域は、江戸時代初めには肥後藩藩主・加藤家の別邸であり、寛永17年(1640年)より彦根藩藩主・井伊家の下屋敷となっていたもので、この土地が1874年(明治7年)、井伊家から政府に買い上げられて南豊島御料地となっていた。

1912年(明治45年)に明治天皇が崩御し、立憲君主国家としては初の君主の大葬であったがその死に関する法律はなく、何らかの記念(紀念とも)するための行事が計画される。明治天皇は京都の伏見桃山陵に葬られたが、東京に神宮を建設したいとの運動が天皇を崇敬する東京市民から起こった。

実業家渋沢栄一、東京市長阪谷芳郎といった有力者による有志委員会が組織され、代々木御料地に神宮を建設する建設案が立てられた。有志委員会は大日本帝国政府の実力者との折衝を重ねるとともに、所属議員によって国会に神宮建設の建議を行い両院で可決された。

神宮建設の機運の高まりを受け、1913年(大正2年)に政府は閣議によって原敬内務大臣を長とする神社奉祀調査会を設置した。1914年(大正3年)に皇后であった昭憲皇太后が崩御すると、大正天皇の裁可を受けて、1915年(大正4年)5月1日、官幣大社明治神宮を創建することが内務省告示で発表された。

造営には全国から11,129人もの国民が労力奉仕に自発的に参加した。鎮座祭は1920年(大正9年)11月1日に行われ、翌2日には大正天皇の名代として皇太子裕仁親王(のちの昭和天皇)が行啓した。初代宮司は公爵一条実輝。

神宮本殿は太平洋戦争末期の1945年(昭和20年)4月、アメリカ軍による空襲によって焼失した。その後全国から復興資金が寄せられ、仮殿が建設されて翌1946年(昭和21年)5月に還座祭が行われた。現在の本殿はその後、国内外からの寄付などによって造営が進められたもので、還座祭は1958年(昭和33年)10月31日に行われた。境内の旧御苑入口付近にはかつて、代々木の地名の起源ともなったモミの巨木「代々木」があったが、この名木も空襲の折、高射砲によって撃墜されたアメリカ軍機・B29の直撃を受けて焼失している。

1966年(昭和41年)7月22日に大鳥居が落雷によって破損したため、新たな鳥居を1975年(昭和50年)12月23日に建立。2代目の大鳥居も初代同様、台湾の阿里山連峰の大檜が用いられている。なお、落雷した鳥居は氷川神社の二の鳥居として翌年移設された。2008年(平成20年)10月26日-11月1日には、明治神宮御社殿復興50年記念の特別ライトアップ「アカリウム」奉納行事は開催された。

第二次世界大戦後、宗教法人神社本庁の被包括宗教法人となり別表神社に指定された。2004年(平成16年)に神社本庁との包括関係を一旦解消し、単立の宗教法人明治神宮となったが、2010年(平成22年)8月23日、再び神社本庁との包括関係を設定した。

2019年(平成30年-令和元年)の4月30日から5月1日にかけて、元号跨ぎの御朱印を求めて参拝者が殺到し、御朱印受付に最長で約11時間待ちの列が作られた。日本で最も人気の神社であるため当日の御朱印はプレミア化し、直後に数十万円の値を付けた高額転売が開始され、その他の神社の転売事例も併せて御朱印配布の本来の目的との乖離が問題視された。

2020年(令和2年)に鎮座100年となるのにあわせて記念事業が行われ、2019年(令和元年)10月26日、新たな宝物館として「明治神宮ミュージアム」(隈研吾設計)が開館した。
-twitter
https://twitter.com/vkteer