2011/10/15

220-ヒロポン密造団

覚せい剤取締法が制定・施行され、正規ルートで市場に出回る覚せい剤が大きく制限されるようになると、ヤミ市場に出回る覚せい剤の姿にも変化が生じます。それまで、正規商品の偽造品として流通していたものが、もはや偽造レッテルなどで偽装する必要がなくなり、密造品そのものとして不正市場を形成し始めるのです。法が制定されて最初の年の押収量は、注射薬463万本、錠剤8000錠、粉末77㎏ [1]と圧倒的に注射薬が多く、この当時の不正ヒロポンとは、アンプル入りの注射薬として流通していたことが理解できます。

この不正ヒロポンの密造に携わるのは、大きく分けては2タイプの人たちだったといわれます。昭和29年の国会委員会で、当時の警視総監はヒロポン密造の実態を次のように説明しています。
「現在・・・・・・やみに出て流れておりますのは、・・・・・・きわめて簡単な方法によつてつくられておるものでございます。つくる方法としましては、御承知のように白金または銀を触媒としてエフェドリンから製造する製造方法としてはこれが一番簡単でございますので、これによって原末をつくつて、蒸溜水または水に、一定の割合で混じて、自家製のアンプルに溶閉して、これをレッテルも張らずに流してしまう。・・・・・・朝鮮人等におきましては、原末を大阪方面から大体百グラム包み八千円程度でひそかに持って参りまして、そして自宅でもって水道の水または蒸溜水で割りまして、アンプルに溶閉してこれをひそかに売り出す。これが現在都内にも相当流れておるのじゃないか、かように考えております [2]。」
ここで指摘されている密造者の第一は、原料になる塩酸メタンフェタミンの粉末(当時の呼び方は「原末」)を製造する人たちで、輸入されるエフェドリンを入手するルートを持ち、ある程度の設備を備え、多少の化学知識も持っている密造者です。彼らが作り出すのは、現在「覚せい剤」として流通しているものと同じ塩酸メタンフェタミンで、その製造法も大筋では現在アメリカなどで行われている密造法と似たようなものですが、あくまでもこれは「原末」であって、当時はこれが最終商品として流通することはなかったのです。
もうひとつの密造者グループは、地下市場で原末を入手し、これを水溶液にしてアンプル詰めを行う「アンプル屋」と呼ばれる人たちですが、実は、この時期に覚せい剤取り締まりの主要な標的とされた密造者は、このアンプル詰め加工に携わる多数の人たちでした。当時の国会委員会では、こうした密造者の姿が次のように伝えられています。「新聞に出ている、普通密造としてあげられている連中は、そういうもの(密造された原末)を買って来まして、それを水に溶いてアンプルへ詰めるという仕事をやっておるのであります。これはごく簡単に、それこそ裏長屋の三畳でも戸だなの中でも、アルコールランプさえあればできるので、これがたいていあげられる[3]。 」

この時期には、原料を製造する密造者と、それを加工する密造者、この2種類の密造者はそれぞれ独立して活動していて、その全工程を取り仕切る密造組織はまだ生まれていませんが、アンプル詰めを行う密造過程では、「ヒロポン密造団」「密造部落」などと呼ばれるものが生まれ、在日朝鮮人集団を基盤にしたある種の組織化の萌芽もみられるようになります。なお、ヒロポン密造と在日朝鮮人の関係は、当時は頻繁に取り上げられた話題のひとつですが、その周辺にはさまざまな当時の社会問題が関係してくるので、後であらためて取り上げるつもりです。
さて、警察が本格的に密造者の取り締まりに乗り出すのは1953(昭和28)年ころからで、相次ぐ密造拠点の摘発を報じる当時の新聞には、「またヒロポン手入れ・大掛りな密造工場摘発」「全国一のヒロポン密造団検挙」「京浜のヒロポン密造団を検挙」などという見出しが躍っています。ただし、ここでいう「密造団」とは、主にアンプル詰めを行う密造者だったことは上記のとおりです。

1954(昭和29)年10月、警察庁は覚せい剤事犯の取締強化に関する通達を全国各公安委員会に対し発し、対策の強化を推し進めることになりますが、ここで重点とされたのが、「覚せい剤事犯の根源となっている覚せい割及び覚せい剤原末材料の密造、密売、密輸入事犯並びに営利の目的叉は常習として敢行せられる覚せい剤事犯等悪質事犯[4] 」でした。1954年10月とは、今日まで断続的に続くことになる、警察の覚せい剤対決のいわば第一次決戦にあたる重要な時期なのですが、このときの対決相手は、「ヒロポン密造団」「密造部落」などと呼ばれるアンプル詰め加工を行う密造者集団だったのです。

出典
[1]国家地方警察統計書 第四回 昭和26年
[2]昭和29年5月20日衆議院厚生委員会 田中榮一参考人(警視総監)の発言
[3]昭和29年5月29日衆議院厚生委員会 林障参考人の発言
[4]近藤光治「覚せい剤事犯の回顧と展望」50頁、警察学論集8巻1号、(1955)

http://33765910.at.webry.info/201105/article_5.html


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1 件のコメント:

  1. ‥‥前略‥‥ヒロポンを用いて仕事をすると、三日や四日の徹夜ぐらい平気の代りに、いざ仕事が終って眠りたいという時に、眠ることができない。眠るためには酒を飲む必要があり、ヒロポンの効果を消して眠るまでには多量の酒が必要で、ウイスキーを一本半か二本飲む必要がある。原稿料がウイスキーで消えてなくなり足がでるから、バカげた話で、私は要するに、全然お金をもうけていないのである。
    坂口安吾『反スタイルの記』より(昭和22年「東京新聞」)

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