2010/09/19

インクス続報

官主導での再生検討へ















以前も前サイトで取り上げたインクスだが、官主導の再生が
水面下で検討されているという。

ようやく経産省を中心として、国内メーカーの効率性に基づく統廃合や、
海外進出、インキュベーションへの積極的な支援を志向しつつあるものの、
やはり財務省の財布の紐は固く、中小企業の事業承継への税制優遇といった
事案と同様、一筋縄で進みそうに無い。

インクスといえば、売上高の半分に近い約50億円をかけ06年に完成した長野県茅野市の
新工場投資や、本社を新宿から都心の一等地、新丸の内ビルディングに
移転したことに伴う約13億円といわれる家賃負担は経営の重荷となった。

これらの資金はほぼ全て金融機関からの借り入れにより賄われたこと、

経営がエンジニアの総意ではなく、都銀から転職したMBAホルダーに
委ねられていたことなど、社長と一部の人間が経営のほぼ全てを
握っていたこと、そのうえ経営者の資質にそもそもの問題があったと
見られていることなどが再生の大きなネックとなっていると思う。

上記の経緯もあり、先ず金融機関からの支援は難しい状況も想像に難くない。

確かに、社会から一時期は注目され、かつ大型の再生案件とあって、
経産省にとってこれほどおいしい題材は無いが、一方で、実質は
大手の下請けであったこと、開発途上の技術革新やサービスはまだ
市場で認められていないことなど、難しい案件であることは間違え
なさそうだ。

話は変わるが、中小企業向けの保証制度の縮小なども民主党主導で
検討されており、弱者救済どころか、ますます日本の経済基盤を
揺るがす事態も起こりうる状況であり、是非経産省には日本の産業界に
配慮した政策を是非とも期待したいところだ。




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以前のコンテンツ


インクスの民事再生について


 あくまで憶測に過ぎないが
  
 大分前の話になるが、株式会社インクスが民事再生法適用を申請した。

 まず、インクスという会社がどのような会社か振り返ってみよう。

 インクスは、代表者である山田眞次郎は1974年青山学院大学理工学部機械工学科卒業。卒業後、三井金属鉱業株式会社入社し、デトロイト支店を設立する。1990年退社し、株式会社インクスを設立する。
 三井金属時代については下記のような記述がある。

「車のドアロックの仕事を任され、どうせなら世界一のドアロックの技術者になってやろうと考え始めた。山田が設計したドアロックは本田技研工業(ホンダ)で採用され、高い評価を得た。ところが劇的な出会いを通じて、米ビッグスリーのクライスラー(当時)から協力を請われ、世界市場へ進出する足掛かりをつかんだのである。 」

そして、インクスを創業する。

 「米ビッグスリーのクライスラーに対しドアロックの供給準備を整えた山田眞次郎は1990年3月31日、丸16年務めた三井金属鉱業に突如として辞表を提出。3次元CAD(コンピューターによる設計)による設計会社、インクスを同僚5人と設立した。新入社員時代に思い描いた「社長」に40歳にしてなったのである。98年には3次元CADを使った金型製作事業にも進出。下町の家内手工業を見事に新しいIT(情報技術)産業へと衣替えした。 」

 インクスが社会で脚光を浴び始めたとき、私は2001年にインクスと出会います。出会いは社長の講演でした。当時は、3次元光造形機や、CAD-CAMとそれに連動するNCが彼らの売りでした。残念ながら、当時はインクスのビジネスモデルについて考えるというより、山田氏のキャラクターに引き込まれたものでした。
 「山田氏の創業時「創業者全員自宅を担保に入れた。銀行は金を貸してくれなかった。」という苦労話や、「新しい発想で世界を圧巻できる」「技術者が社会で認められるようにしたのはインクスだ」といったスローガンに、凄い会社ができたものだ。」と考えたものでした。

 当初、彼らに傾倒したことは、私が理系から金融機関へ入社した理由にも重なります。
 その頃、日本の製造業・特に中小零細企業はバブルの崩壊による金融機関の貸し渋りで次々と倒産、日本の製造業が培った技術は、次々と消えて行ったり、外資系企業に買収され、国外へ流出していました。
 加えて、日本(日系企業)における技術者の待遇というのは、官公庁における技官の待遇同様、血のにじむような努力とは裏腹に、お寒いもので、このままほおっておけば、日本の技術は廃れるばかりだ、と考えていました。
 これをなんとかしたいという強い思いが、私を金融機関へと動かしていったのです。
 同時に、同じような強い思いを抱いていた山田氏の考えに大いに共感したのでした。

 それからも、何度か社長の講演を聞いたり、工場や本社へ招待、社内のメンバーともお会いする機会があり、徐々にインクスのビジネスモデルに疑問を抱くようになったことを今でも覚えています。

 それは山田氏の質疑応答に対する答えがきかっけでした。

質問「(インクスの提供する)このような自動化によって、雇用や技術が喪失しませんか?」
社長「メーカーのラインで働く人は、大概高卒で考える仕事はさせられないし、使い物にならない。コストがかかるばかりだ。だから、インクスは自動化したシステムを提供することで、ライン管理の仕事から「考える」ことを取り除き、ロスや無駄を減らすことを実現したのです。」

質問「社長が御社の社員に求めることは何ですか?」
社長「当社は、トップレベルの大学の技術者を集めて、立派なエンジニアやコンサルタントになってほしいと思っている。給与が増える30代くらいには、スピンアウトしてもらって、独立してほしいと考えている。いつまでも会社にしがみつくような社員はいらないと考えている。」

 これを聞いてから、何かおかしいな。と思うようになります。優秀な社員を育てては捨てるという発想はあり得ない。加えて、山田氏の参謀には、MBAホルダーが控え、判ったような事を言うことにも違和感を感じたのです。

 その頃、多くのトップレベルの大学の学卒・院卒生がを卒業した生徒が次々と入社していきます。
当方も、何人かの同窓生に
「あそこの会社は辞めた方がいい。入っても、何れは捨てられるだけだ。それに、そう簡単にメーカーが心臓部の開発を外部委託するはずがない。やっているのは大手の下請け作業だけだ。何より、浮ついた会社の方針が信じられないと思わないか?何れは行き詰る時が来るに違いない。」
と言ったが、賛同してくれたのは数名の親しい知人くらいのものだったのでした。

 その疑問が確信へと変わったのは、加工造形メーカや、金型メーカ、CAD-CAMシステムの開発会社等を担当し、何度も通って「現場」の話を聞いてからでした。

 良く、様々なメーカーの比較対象としてインクスのビジネスモデルを用いました。それにつけインクスの経営方針では、これから成長は見込まれないだろうと思うようになります。
 彼らのコーポレートプロフィールとは裏腹に、インクスは大手メーカーの下請けだったのです。
 インクスは当時、大学と連携した基礎研究を進めていましたが、現場に必要なノウハウとはあまりにかい離しています。一方で、彼らの標榜する自動化された製造工程モデルは、顧客のニーズとは少し違う。
それに、日本の中小企業が、ブラックボックス化したインクスの高額なシステムを導入できるとは思えないのです。
又、3次元加工機は残念ながら高度なニーズに対応できるレベルまで達していないように見えました。
これからどうして会社経営していくつもりだろう。
 そんなことが何度も頭を過ります。

 とはいえ、世間では英雄として取り立たされているインクスに注目せざるを得なかったのも事実。
 山田氏の理想がかなう日を、なにより自分も待ち望んでいたし、今でも私は待ち望んでいる人間の一人だったのです。

 その後しばらくして、インクスの業績推移を見る機会がありました。それは、顧客のビジネスモデルや財務構成と、同業で成功していると言われているインクスの業績や財務状況を比較するために、資料を取り寄せたのでした。
 概要を見た瞬間、

 絶対おかしい。
 
 しばらくインクスのことなど考えたこともなかったので、あらゆるバイアスから解き放たれていたからかもしれないです。

 粉飾してたのか?何れにしろ、もうだめだな。

 2005年あたりまで急激な増収増益で推移していたが、それが頭打ちとなる。同時に以降の有利子負債が急増している。
 彼らのビジネスモデルに設備は必要ない。必要なのは研究開発費くらいなものだ。借入が急増しているのは、身の丈以上に研究開発費を使っているか、赤字資金かのどちらかに他ならない。
 何れの事態も、尋常ではない。

 比較の対象とならなくなったことが判った時点で、インクスを検証の対象から外したのでした。

 それから1年余り経ったでしょうか、インクスは倒産しました。

 あくまで推測のレベルだが、理想を追いかけ過ぎて、市場で「売れる」商品を開発できなったこと、コストの高いエンジニアや営業を抱えるコストを支え切れなかったことが原因だと考えます。

 同社には多くの知人や同僚がおり、彼らの安否が気遣われます。加えて、志の高い企業が一つ市場から消えたことは、とても残念なことで、会社経営の難しさを深く考えさせる事象でした。
 同社の優秀なエンジニアやコンサルタントが、引き続き新たな企業で活躍され、志を引き継がれることを祈ります。

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TDB企業コード:260511288

「東京」 (株)インクス(資本金8715万円、千代田区丸の内1-5-1、登記面=神奈川県川崎市高津区坂戸3-2-1、代表山田眞次郎氏、従業員400名)は、2月25日に東京地裁へ民事再生法の適用を申請した。

 申請代理人は、吉峯啓晴弁護士(千代田区九段南3-9-11、電話03-5275-6676)。監督委員は、勝部浜子弁護士(文京区千駄木3-36-11、電話03-3821-9921)。

 当社は、1990年(平成2年)7月に設立された。3次元CADによる委託設計、モデリングなどを手がけていた。設立当初から光造形システム、3次元CAD・CAMの研究を始め、高い技術力は業界内外で評価されていた。96年からは、高速金型製作の研究を開始。98年には自社高速金型センターを設置し、金型製造受託を開始したことで業容を急速に拡大。近年では、センターを相次いで拡充して、携帯電話業界向けの3D金型製造部門の受注が伸長したほか、自動車業界向けの金型製作に関する「プロセス・テクノロジー」を用いたコンサルティングも伸長し、国内大手企業をはじめ、欧米を中心とした海外企業にも営業基盤を有し、2006年12月期には年収入高約111億3900万円を計上していた。

 その後も、一部事業を子会社へ譲渡したことで減収になったものの、2007年12月期の年収入高は約104億9300万円を維持していた。

 しかし、2008年12月期に入り、景況感の悪化が進んだことで受注環境が急速に悪化。大幅減収が予想されるなか、とりわけ、主力先であった大手自動車メーカーからの受注が著しく減少したことで、急速に資金繰りがひっ迫。機械設備の売却、従業員の転籍など事業の再構築を図っていたが、受注環境は改善せず、自力での再建を断念した。

 負債は、2007年12月期末で約169億300万円。



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